著者紹介
最小化

清水秀登
昭和12年6月16日生

◆山口植物学会役員
◆周防巨木の会主宰
◆風子会代表
◆山口地学会会員

            
 
 
メモ
最小化

寂地峡が世に出るまで。

地元の宇佐の人々には、歩いて緯度知られていたのであろうが、町外的に積極的にPRしたのは三浦耕作氏のようである。

 昭和25年6月22日、防府放送局で「夏の高根高原」と題して放送している。これは<中国風土記>というシリーズものの一環として組まれたものらしいが、その中に竜ヶ岳峡と寂地峡に言及している。(この当時は犬戻峡の方を寂地峡と言ったらしい)

続いて同年10月には、衆議院議員の永田新之充氏を招いて案内している。

そのときの紀行文は「高根7峡36滝・高根高原探勝記」と題し、白髪三千丈的な文でとうとうと述べられている。

(以上は錦町役場の常国氏に借用のパンフレットを参考)

            
 
 

目次



参考文献
最小化


防長風土注進案 (1983年)


山口県風土誌〈第1巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第5巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第9巻〉 (1973年)


◆岩国市史

防長風土記 (1957年)


玖珂郡志 (1975年)


◆日本の滝 上・下 土屋書店・渡辺晃一

防長百山 (1977年)


◆やきもの風土記 マツノ書店・神崎宜武

◆長門周防の伝説 第一法規・松岡利夫

山口県地名考 (1978年)


◆西日本の山釣 釣りの友社・山本素石

◆日曜の地学 山口地学会

沢登りの勧め―渓谷美を楽しむ知識と技術 (1978年)


◆日本の地形 岩波新書・貝塚爽平

◆その他

            
 
 
関連サイト
最小化

 Cray's Whisper

VACCO HOSTING SERVICE

Browntongue

LLP en

玖珂隕石に光をあてよう

防長四十八滝

防長四十八渓

            
 
 
No.02 竜ヶ岳峡
最小化

錦町

 知名度では長門峡や石柱渓に劣っているが、美しさの点では筆頭の渓谷ではなかろうか。有名な赤目四十八滝の渓流を訪ねたことがあるが、ひいき目でもあろうが、私にはこの渓谷と同じレベルのものとしか映らなかった。 この渓谷は峡というより沢と呼んだ方がピッタリで、観光部分に限れば全体が一つの滝のような観がある。

 宇佐の家並にほど近いテントサイトの林を抜けて小橋を渡るとすぐ沢口で、ここに竜尾の滝がかかっている。写真などでよく紹介されているのは、撮影が容易なためであろう。高さ15メートル、途中に甌穴を有し、落水をはねているから二段の滝となっている。 遊歩道は左岸からはじまり、滝尾の滝の上面を越えて右岸にかわる。ついで登竜の滝およびこれと対をなす大乗淵があり、そのすぐ上に白竜の滝とその釜がある。二滝ともカンナをかけたような、花崗岩の岩肌を斜めに滑り落ちており、その滝壺は典型的な「釜」である。その水色は厚手のガラスのようなエメラルドグリーンで澄みきっている。清澄というより清冽のイメージである。そのためか水浴をする姿をあまり見かけない。水温が低すぎるし、清浄なものを冒瀆したくない潜在意識がはたらくのであろうか。

 つづいて歩道をたどると巨石が行手を阻んでいる。以前は鉄バシゴでこの上に登ったり、降りたりのスリルを味わさせられたが、今は安全のためかわして通るようになっている。ここで径は水筋と交錯し、再び右岸になる。そして竜門の滝と竜頭の滝とがともに五右衛門風呂のような滝壺を具えて続いている。滝は見上げるような絶壁にかかっており、途中の割れ目にシャクナゲ・ヤマグルマ・ツガなどが枝をさしかけている。竜門の滝は落差18メートル、前面にタケノコ形の岩がたちはだかってその全容をとらえ難いが、のぞきこめばしぶきまじりの涼風で、身がひきしまるようである。竜頭の滝は断崖を途中まで穿って、水門から放水するかのように落ちてくる。落差14メートルだがもっと高く感じられる。 遊歩道は竜頭の滝のかかっている垂直な崖を避けて、側面にしつらえたビルディングの非常階段のような石段となっている。これも以前は木の根っこの露出部をつかんで登っていたところである。 ようやくの思いで上面に出ると宇佐八幡方面からの杣道に合流する。すぐの所で山体をくぐる木馬トンネルがある。岩を素堀りしたもので、電灯がないのも一つの趣きというものだろう。 トンネルを抜けたところの川筋は柔和で、その30メートル下手にあの凄絶な竜頭の滝の落ち口があるとは思えない。

 竜ヶ岳というのはこの岩壁の属している岩山のピークの名称で、滝の名前にはどれも竜の字をいただいている。竜の吐く息になぞらえたのであろう。この竜は何に由来したのであろうか。竜ヶ岳の山容がいかにも異様であることの連想もはたらいたであろうし、伝説とのかかわりもあろう。 『かつて寂地山に一匹の大蛇がすんでいて、ひとたぴ暴れ出すと山や谷をゆるがし、吐く息は農作物を全滅させた。ある時寂仙坊という旅の老僧が、法力により安芸の国の臣竜山に追い払った。』 この伝説から寂地山の名も由来したのであろう。 沢筋をさらに追跡してみよう。小道が川を跨いだ所に分岐があり右手側は竜ヶ岳の大岩(拝み堂岩)へ登る径である。沢をなぞる道はしばらくすると川を渡って右岸に出、やがて山側へと谷筋を離れはじめる。 川筋の方は平凡で、大きくない転石が、川床一面に散乱した風景が続く。500メートルばかり先で単調さが破れてかなりの滝が出現する。F14と呼ぼう。川床を巨大なスコップでえぐったかのような13メートルの滝である。この滝は向って左側、つまり右岸にホールドが多いから素手で登れる。

 上面に出ると敷石のような川床で歩きやすい。再び転石帯かなと思った所で釜つきの滝が出現し、露岩帯となる。F17で、竜尾の滝と似た15メートルの明るい滝である。この滝を越えるには左岸の方がよい。樹木や割れ目のホールドがあって楽である。 滝の上に出ると、木馬トンネル方面からの杣道が川に沿っている。つまりさきほど山手に離れたのはF14やF17を高巻いたのだ。この先、渓態は少しずつ平凡化してゆく。小コルジュや小滝があるが、それも500メートル先までで、渓谷らしさは消失する。

 沢筋の径はところどころクマザサや地滑りに消されながらも命脈を保って、寂地山の南ピークに達している。この沢筋の良さの一つは自然体であることで、現在、全県下で進行中の皆伐 →スギ・ヒノキ植林の犠牲になっていないことだ。したがって春先の新芽の頃の、あの樹々の梢の味わいが満喫できる。樹種にはブナ、カシ、シデ、ナラ、サワグルミ、トチなどが見うけられた。

 宇佐八幡宮の境内の巨杉群も見事である。この八幡宮では八百年の伝統を誇る火祭りが七年に一度、秋に行われるという。夜、境内のまわりに日飾りが巡らされ、その中を四つの灯龍が氏子の手で引きまわされて、妖しい尾をなびかせながら舞い踊るという。祭にさほど関心のない私でも参加したいときめきを感ずる。 中国自動車道が完成したので、この渓谷の名は県外にまで広まるであろう。

岩ばしる 水がたたえし青さ 喫する (山頭火)