豊田町・美祢市
県西部でただひとつ光っている渓谷で、長門峡と同じく「名勝及び天然記念物」に指定されている。その指定理由は石英斑岩の柱状節理と渓流美である。柱状節理というの鉛筆形のひび割れは、ふつう玄武岩や安山岩にみられ、石英斑岩の場合は珍しいようだ。柱状体は径15センチから60センチ位で、その横断面を見るとタイル張の床のようである。
この渓谷の川を”どうどう川”といい、木屋川水系の白根川に注いでいる。そしてこのあたりの地図をよく見ると、この谷川は比較的近年、厚狭川水系の麦川の上流部が短絡を起こして生じたものらしいことが読みとれる。下刻の程度が50メートル位だから、この異変はせいぜい数千年前のことであろう。
ここに向う第一目標は豊田湖で、その左岸(東側)に台へ向う道路が分岐している。3キロばかりで石柱渓口に至るが、立派な標柱があり、バス停もあるからわかりやすい。そこに茶店風の民家があり、道路下に眼をやればどうどう川の注ぎ口が見える。
店のお婆さんの話ではこの渓谷を世に出した人は地元の篤志家の医者と高島北海だということである。その頃の北海は高齢で、若者達の担ぐ藤づる製の駕籠に乗せてもらって筆で記録をとっていたという。その北海の名は滝の一つに残されている。
茶店から100メートルで遊歩道口にかかる。鳥居と説明版があり、境内は休憩所を兼ねていて、休日は売店も開く。
渓谷の樹木はよく保たれている。コジイ、カシを主体とする照葉樹林である。カエデも混じっているが、日光の直射を受けないので赤くなるまでの紅葉には至らないようだ。
遊歩道は未舗装だが階段もつけてあり、登り降りで滑ることはあるまい。途中川まで下降する所があるが、残念なことにそこの川岸が大きな地滑りで破壊されている。その地滑りは台と田代とを結ぶ道路の路肩が落ちてきたものでつい数年前のものだ。道路を渓谷の真上に敷設する神経をとがめるべきであろう。
傷跡のすぐ上手にF4の薬研の滝があり、かなりの淵を具えている。柱状節理がよくわかる。その上手は短い廊下で、歩道はそこを巻いている。次に、姿の良い連理ノ滝が深い淵とともに現れる。この渓谷の淵が滝のスケールに比べて深くて大きいのは摂理の方向に侵食を受けやすいので、樽状の滝壺になりやすいのであろう。
続いて閑山の滝と北海の滝が連なっており、ここらあたりがこの渓谷の中枢部をなし、位置的にも中間点なので休憩の小屋がある。三滝とも5メートルばかりのものだが釜が立派で、岩の壁面に趣があるので一幅の絵になる。特に閑山の滝がサマになっている。
これらの滝にはお通万作の悲話が伝えられている。『この土地の娘お通と毛利藩士万作が恋におち、この渓内を愛の語らいの場にしていた。しかし身分のちがいで一緒になれないのをはかなんでお通は連理の滝に身を投じた。それを知った万作は閑山の滝で切腹し、後を追った・・・・・。』
北海の滝を過ぎるとやや調子が落ち、やがて小橋があって歩道が左岸にかわる。そこが分かれ道になっていて、上方に登れば道路への近道、左手の川沿いに進めば最奥に行き当たる。散策に適した静かなせせらぎの小径である。ゆきどまりの所で川が釣り針状にカーブしており、そこから上の道路へ逃げる踏跡道がある。
渓流の 苔はしる水 苔色に