著者紹介
最小化

清水秀登
昭和12年6月16日生

◆山口植物学会役員
◆周防巨木の会主宰
◆風子会代表
◆山口地学会会員

            
 
 
高島北海
最小化

「山岳画」という、従来の山水画とは画趣を異にする独特のジャンルを拓いた画家。南画特有の観念的表現主義的要素を拝し、「北海画風」と呼ばれる、自然観察を基調にした写生風の穏やかな画風を完成した。

幕末の萩に毛利藩医の息子として生まれ、五十才までは博物学の技士、退官後に絵画の道に入った。昭和6年没。

昭和三十年代より見なおされはじめた。彼の著書には、本務の面で、地質鉱物に関するもの、山林や植林に関するものがある。その他で、長門峡や石柱渓に関するものがいくつかある。

また、佐々連洞や須佐湾を世に紹介しようと務めたようである。

長門峡の遊歩道は彼の基金によったそうで、彼の人柄がしのばれる。

ある富豪からの、寝て暮らせるほどの株を彼にゆずろうと言う話を断ったエピソードがある。

            
 
 

目次



参考文献
最小化


防長風土注進案 (1983年)


山口県風土誌〈第1巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第5巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第9巻〉 (1973年)


◆岩国市史

防長風土記 (1957年)


玖珂郡志 (1975年)


◆日本の滝 上・下 土屋書店・渡辺晃一

防長百山 (1977年)


◆やきもの風土記 マツノ書店・神崎宜武

◆長門周防の伝説 第一法規・松岡利夫

山口県地名考 (1978年)


◆西日本の山釣 釣りの友社・山本素石

◆日曜の地学 山口地学会

沢登りの勧め―渓谷美を楽しむ知識と技術 (1978年)


◆日本の地形 岩波新書・貝塚爽平

◆その他

            
 
 
関連サイト
最小化

 Cray's Whisper

VACCO HOSTING SERVICE

Browntongue

LLP en

玖珂隕石に光をあてよう

防長四十八滝

防長四十八渓

            
 
 
No.07 石柱渓
最小化

豊田町・美祢市

 県西部でただひとつ光っている渓谷で、長門峡と同じく「名勝及び天然記念物」に指定されている。その指定理由は石英斑岩の柱状節理と渓流美である。柱状節理というの鉛筆形のひび割れは、ふつう玄武岩や安山岩にみられ、石英斑岩の場合は珍しいようだ。柱状体は径15センチから60センチ位で、その横断面を見るとタイル張の床のようである。

この渓谷の川を”どうどう川”といい、木屋川水系の白根川に注いでいる。そしてこのあたりの地図をよく見ると、この谷川は比較的近年、厚狭川水系の麦川の上流部が短絡を起こして生じたものらしいことが読みとれる。下刻の程度が50メートル位だから、この異変はせいぜい数千年前のことであろう。

ここに向う第一目標は豊田湖で、その左岸(東側)に台へ向う道路が分岐している。3キロばかりで石柱渓口に至るが、立派な標柱があり、バス停もあるからわかりやすい。そこに茶店風の民家があり、道路下に眼をやればどうどう川の注ぎ口が見える。

店のお婆さんの話ではこの渓谷を世に出した人は地元の篤志家の医者と高島北海だということである。その頃の北海は高齢で、若者達の担ぐ藤づる製の駕籠に乗せてもらって筆で記録をとっていたという。その北海の名は滝の一つに残されている。

茶店から100メートルで遊歩道口にかかる。鳥居と説明版があり、境内は休憩所を兼ねていて、休日は売店も開く。

 渓谷の樹木はよく保たれている。コジイ、カシを主体とする照葉樹林である。カエデも混じっているが、日光の直射を受けないので赤くなるまでの紅葉には至らないようだ。

遊歩道は未舗装だが階段もつけてあり、登り降りで滑ることはあるまい。途中川まで下降する所があるが、残念なことにそこの川岸が大きな地滑りで破壊されている。その地滑りは台と田代とを結ぶ道路の路肩が落ちてきたものでつい数年前のものだ。道路を渓谷の真上に敷設する神経をとがめるべきであろう。

傷跡のすぐ上手にF4の薬研の滝があり、かなりの淵を具えている。柱状節理がよくわかる。その上手は短い廊下で、歩道はそこを巻いている。次に、姿の良い連理ノ滝が深い淵とともに現れる。この渓谷の淵が滝のスケールに比べて深くて大きいのは摂理の方向に侵食を受けやすいので、樽状の滝壺になりやすいのであろう。

続いて閑山の滝と北海の滝が連なっており、ここらあたりがこの渓谷の中枢部をなし、位置的にも中間点なので休憩の小屋がある。三滝とも5メートルばかりのものだが釜が立派で、岩の壁面に趣があるので一幅の絵になる。特に閑山の滝がサマになっている。

これらの滝にはお通万作の悲話が伝えられている。『この土地の娘お通と毛利藩士万作が恋におち、この渓内を愛の語らいの場にしていた。しかし身分のちがいで一緒になれないのをはかなんでお通は連理の滝に身を投じた。それを知った万作は閑山の滝で切腹し、後を追った・・・・・。』

 北海の滝を過ぎるとやや調子が落ち、やがて小橋があって歩道が左岸にかわる。そこが分かれ道になっていて、上方に登れば道路への近道、左手の川沿いに進めば最奥に行き当たる。散策に適した静かなせせらぎの小径である。ゆきどまりの所で川が釣り針状にカーブしており、そこから上の道路へ逃げる踏跡道がある。

渓流の 苔はしる水 苔色に