著者紹介
最小化

清水秀登
昭和12年6月16日生

◆山口植物学会役員
◆周防巨木の会主宰
◆風子会代表
◆山口地学会会員

            
 
 
渓の山草
最小化

<イワタバコ> 名前のごとく、タバコのような形の一枚葉で、岸壁にくっついている。浅緑色のみずみずしい色で、8月ごろうす紫色の花をつける。垂直なぬれた岩壁に多い。

<ダイモンジソウ> ”大”の字形の葉をしているからだという。崖よりは川床を好む。へつりなどしている時よく見かける。白い、散開した花穂をつける。

<ギボウシ> スプーンを大型にしたような葉で、平行なたてじまが特徴。崖や岸に多く、長い花穂を出す。花色は白。

<キシツツジ> かなり川幅のある場所の川べりに繁り紫がかった花をつける。中国地方と九州・四国の一部にしかないそうで、美川町の町花。

<セキショウ> 厚くてしなやかで、スキーのような葉形である。川床の岩の割れ目に根を張っていて引っ張ってもなかなか取れない。渓流に風情を添える。

<ノキシノブ> イワヒバと共に園芸用に珍重されるので、最近めったに見かけない。湿気のある岩場や大きな木にからみついている。根のような本体から涼しげな葉を出す。

<イワヒバ> 岩壁や火山岩の岩場に着生する。ヒノキのような形の単葉の集合体で、全体は盃状をなす。漣渓ではジュータン状のものを見かけた。

            
 
 

目次



参考文献
最小化


防長風土注進案 (1983年)


山口県風土誌〈第1巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第5巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第9巻〉 (1973年)


◆岩国市史

防長風土記 (1957年)


玖珂郡志 (1975年)


◆日本の滝 上・下 土屋書店・渡辺晃一

防長百山 (1977年)


◆やきもの風土記 マツノ書店・神崎宜武

◆長門周防の伝説 第一法規・松岡利夫

山口県地名考 (1978年)


◆西日本の山釣 釣りの友社・山本素石

◆日曜の地学 山口地学会

沢登りの勧め―渓谷美を楽しむ知識と技術 (1978年)


◆日本の地形 岩波新書・貝塚爽平

◆その他

            
 
 
関連サイト
最小化

 Cray's Whisper

VACCO HOSTING SERVICE

Browntongue

LLP en

玖珂隕石に光をあてよう

防長四十八滝

防長四十八渓

          
 
 
No.12 藤ヶ谷峡(仮称)
最小化

美川町

藤ヶ谷は物見ヶ岳の北側にひっそりとたたずむ小集落である。この地域の水は北流して、根笠川に合流した後、岩日線根笠駅の近くで錦側に注ぐ。玖珂鉱山のある出合が川口である。そこから川沿いに車道が延びていて、標高500メートルの峠を越えて、急勾配の下り道で明見谷を経て、周東町田代で剣道に連絡する。

出合の標高が100メートル、藤ヶ谷が400メートル、そして田代が100メートルだから、北側はゆるやかで、南が急傾斜をなしている。必ずしも川が急なほど美渓を生ずるとは限らない。そのことは藤ヶ谷は上質だが、田代川は下級の川床であることからも察せられる。

沢口にある鉱山はタングステンを主目的に稼動しており、主鉱は対岸にある。そこの松を配した岩壁がいい。ここから600メートルの地点の右岸に支沢があって、その谷には滝が2本ある。

700メートル地点では、右岸の岩壁を道路がえぐって半トンネル状の箇所を通過する。このあたりの両岸は見上げるように高く、下刻のスケールと年月を示している。この第一支沢と第二支沢との区間は、崖あり、淵ありで変化に富んでおり、釣りや水浴に好適とみた。

第三支沢と第五支沢の1.5キロ区間は少しトーンが落ちるが、澄んだ流れと淵が交互して悪くは無い。第五支沢(扇野谷)にも2本の滝を含んでいる。

この沢口と平井方からの沢(第六支沢)口の間は渓態がまたよくなる。そこからさらに0.8キロ遡ったところに正二郎沢(第七支沢)が注いでいる。この沢奥に以前10戸以上の集落があったそうだ。その急傾斜部に滝(18メートル)があり、訪れた時は紅葉がよく、途中の崩壊棧道のスリルも記憶に新しい。

滝を観る 黄金の葉を 踏みしめて

この第七支沢と第九支沢の間の1.2キロの間がこの峡で一番まとまっていると思う。小滝と瀬が交互して路面下で迸っている。そこから先はややおとろえて、第十沢口近くの大滝までは見るべきものはない。

大滝(とはいっても15メートル)は、その沢口を越す小橋の所に落ちている。音はすれども姿は死角に入って気がつきにくい。沢口に降りて手前の大岩の上に立てば見下ろしができる。下正面から直視したければ、道路下の石垣から川面へ、そして直下へと強引に行くか、滝の落ち口を徒歩して対岸からまわりこんで滝壺に降りるとよい。水量はかなりで、滝壺をあふれた水はS字状に流れて次の滝(7メートル)となり、大きな釜を形成し、またあふれて小滝と小釜となる。この滝がこの渓谷の有終の美をかざっている。

滝の500メートル先に数戸の残存農家があり、老齢の方しか住んでいない。この集落が平家の落人によるといわれる藤ヶ谷である。私の生れ育った地にここの出身である前田さんがおられた。この方は平家の高官の子孫だそうで、土地の人々は殿さまと呼称していた。それはその血筋を買われて、加賀前田家の跡目を継いでいるせいでもある。

それやこれやで、私自身も幼少の頃は、自分達も平家の流れに関係しているのではないかと勝手に想像していたものである。高校時代に久杉から長駆、物見ヶ岳を越えて遠征したのもそんなルーツへの想いがさせたのであろう。

集落跡から車道は急に勾配を増し、田代に至る峠に出る。その手前にマンガンの原鉱処理場が、向う側に鉱口を口とズリ場がある。こういう鉱山があるのは、このあたりの山体をおおっている堆積岩と、より深所にある花崗岩をつくったマグマと接触したためだそうだ。鉱山内で見た、鉱石にあてた紫外線の妖しいリン光が今も思い浮かぶ。