著者紹介
最小化

清水秀登
昭和12年6月16日生

◆山口植物学会役員
◆周防巨木の会主宰
◆風子会代表
◆山口地学会会員

            
 
 
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最小化

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玖珂隕石に光をあてよう

防長四十八滝

防長四十八渓

            
 
 

目次



参考文献
最小化


防長風土注進案 (1983年)


山口県風土誌〈第1巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第5巻〉(1972年)


山口県風土誌〈第9巻〉 (1973年)


◆岩国市史

防長風土記 (1957年)


玖珂郡志 (1975年)


◆日本の滝 上・下 土屋書店・渡辺晃一

防長百山 (1977年)


◆やきもの風土記 マツノ書店・神崎宜武

◆長門周防の伝説 第一法規・松岡利夫

山口県地名考 (1978年)


◆西日本の山釣 釣りの友社・山本素石

◆日曜の地学 山口地学会

沢登りの勧め―渓谷美を楽しむ知識と技術 (1978年)


◆日本の地形 岩波新書・貝塚爽平

◆その他

            
 
 
No.11 高瀬峡
最小化

新南陽市

高瀬峡は私に渓谷歩きの趣味のきっかけをつくってくれた渓流で、いわばこの本の原点とでもいえよう。その前、岩国市錦見に在住の前島氏に竜ヶ岳峡と二鹿峡に案内してもらって、ある程度の素地のできた時に、この峡との出会いが生じた。なにげなく通りかかって案内板を見かけて探勝した。

竜ヶ岳峡とちがって特別驚嘆するものは具わっていないが、妙に気持ちに響くものがあった。惹かれるように何回か訪れているうちにせせたぎの音が子守唄のように心をほぐすようになっていった。この渓谷のどこに魅力があるのか私にもわからない。おそらく渓のほどよいスケールと落ち着き、それに樹林の保存の良さなどが総合されたものであろう。つまり私と相性が良いのだろう。

新南陽市富田の新南陽高校の近くでバイパスからそれて、四熊ヶ岳の南をかすめる道路に入る。峠を越えてゆるい下りカーブの道をたどってゆくと米光の三叉路で、ここを右折して島地川沿いに北上する。4キロばかりで今は区民間の高瀬小学校跡に至る。

ここより田んぼの中の歩道を300メートル位たどると渓谷の基点だ。登り勾配の固め土の歩道がつくられているので探勝は楽である。

2つ目の堰の次にやや広い巣メインがひろがっている。深さ1~2メートル、ボートもあり、鯉も遊泳している。堰自体は農業用水路の取水のため以前からあったようで、周囲との不調和はない。

水面すれすれの歩道を進むと休憩所がやや小高い所に現れる。まわりに形の良いモミジの木立がある。後は再び登りとなり木立の中に入る。小僧岩という地蔵様そっくりの岩を横目に歩くあたりで水音がはげしくなり、水面が瀬にかわっていくのに気付く。このあたりを紅葉谷といい、渓谷内では一番のところだろう。

また下り勾配となって、流水に磨かれた岩の上を辿る。その岩には独特の縞模様と艶がある。径はゆるやかに登ったり降りたり、川床に近づいたり、離れて木立に入ったりしている。川筋の方は瀬を主体として、ところどころ淵をまじえている。木立と岩と瀬音、それに川幅と遊歩道の位置、これらの要素がリズム感を伴ってさりげなく調和しているように思う。

そんな調子で500メートルばかり進んだ所で、対岸に小滝を見る。夫婦滝だ。この滝の水は桝谷の沢からのもので、その途中には10メートルほどのものも含めていくつかの小滝がある。

歩道は一貫して右岸に設けてあるが、ここあたりから先、渓態もやや平凡になってくる。視界も開けて明るくなり、途中キャンプ場やトイレなどの設備もある。

最後の高巻きを終ると下り道となり、川原に出る。ここが一般訪問者の終点である。同じ経路を引き返すのが面白くなければ、山手の斜面に小径があるので、それをたどればほどなく道路に出られる。

河原の対岸にかなりの川が口を開けている。新畑川で、途中蛇行をくりかえしながら深い谷を穿っている。(大崩峡参照)

川筋のさらに上流には歩道も踏査道もない。200メートルも遡上すると両岸が峡まり、渓谷がひきしまってくる。左岸は蛇紋岩からなる岩体である。蛇紋岩は濃緑色でぬめぬめした肌合をしており、みがけば美しくなるので、下流の河原から持ち帰る人もいるという。

その100メートル上流が蛇つなぎ橋で、ここが本当の終点だ。この橋の上流500メートルに閑静直後の島地川ダムの堰堤がある。ダム工事中には高瀬峡の将来を案じたものだが、地元の石田さん達の奔走で影響を最小限にとどめる事ができたようだ。