渓谷の要素を三つ挙げるとすれば、①水流・川床 ②両岸の崖 ③植生 で、これを水・岩・木と単純化しても良かろう。
グランドキャニオンのように、②だけで十分成立する例外もあるが、身近なものではどれが欠けても美渓の資格を失ってしまう。
外国の川をみると、無色透明の水流はまず珍しい。日本では山がちな国土でかつ雨が多いから、清澄にして急流が多い。オランダ人が日本のは川ではなくて滝だと評したとの文を見かけた。
わが国では①について、澄んだ水が十分な水量あるだけでは通用しない。川床が美しいとか、滝が多いとか、激流がほとばしっているとかのプラスアルファが必要である。
②の断崖であるが、これは滝の後退によって形成されたものが多い。ナイヤガラの滝の下流には10㎞以上にわたり、崖が両岸に連続している。滝がそのぶん後ずさりしつつ移動したことを示している。
滝が山地の部分を通過し終えると、跡には廊下状の渓谷が残り、川床を水が激流をなして流れ下る。山塊が大きく、岩石の質が堅牢で、水量が豊かであれば、両岸の屹立した迫力十分の渓谷となる。
基盤岩が節理の少ない花崗岩であれば、全体が明るく滑床という川床になり、水の青さが際立つ美渓となろう。もろい堆積岩とか凝灰岩とかの渓谷だと、コントラストは弱く、岩の崩壊が速い。川床も落石に占領されて見栄えがしない。
③の植生とは両岸を飾る草木のことである。羽毛の無い鳥が見るに耐えないように、植生を欠く渓谷は貧弱である。かといって何でも良いというわけでなく、蔓の仲間やイネ科(ススキなど)等はマイナス要因である。針葉樹よりも被子植物のほうが趣がある。そのうちでも照葉樹より落葉樹のほうが好ましい。
なお、草は丈の低いものをよしとし、木は巨木・老木の方が雰囲気をかもし出す。若い育ち盛りの樹木というのは、渓流の装飾にはいささか役不足である。
渓は南向きのものより北向きのもののほうが良質である。それは日射が強いと藪がひどくなるからである。
美渓を壊してしまう代表的な要因はダムや堰の敷設・樹林の伐採・道路の建設などである。
渓谷というものは、大雨の時の地すべり以外は、人手が加わらなくても美しい状態を保つ性質がある。道路の新設などの人間による干渉を受けると、落石とか日射量の激増によって、がらりと渓相を変えてしまう。また、ダムや堰によって流量のむらがひどくなり、土砂の堆積もあって川床がだめになる。
渓谷は微妙なバランスの上に成立している生態系なのである。人手による干渉には最新の配慮を要し、むしろ放任のほうが無難である。庭師という熟練者がいるように、渓師という専門家もいていいのではなかろうか。